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大阪地方裁判所 昭和40年(ワ)2778号 判決 1967年7月31日

原告 山川道子

右訴訟代理人弁護士 土田吉清

被告 山田信三

右訴訟代理人弁護士 三宅徳雄

主文

被告は原告に対し金一四七、〇〇〇円およびこれに対する昭和四〇年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告のその余を原告の負担とする。

本判決は、第一項の部分に限り、原告において保証として金三〇、〇〇〇円を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金九九七、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」。との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「(一)、原告は、昭和三九年八月、訴外菊川武一を仲人として被告と見合、交際し、被告から右仲人を介して結納金一七〇、〇〇〇円を受領したのち、同年九月、被告との間に同年一二月二五日を期して挙式のうえ婚姻することを約(以下これを本件婚約という)した。(二)、しかるに被告は、同年一一月一七日、大阪市北区高垣町所在純喫茶「トリオ」で原告と会った際、突然本件婚約を破棄する旨言明し、その後原告のその実父を介して再三再四にわたってその翻意を求め、また大阪家庭裁判所に調停を申立ててその調停を受けたが、被告は何ら誠意ある回答をしないで原告との婚姻を一方的に破棄したものであるが、被告がその婚約破棄の理由とするところは、原告がカトリック教徒として洗礼を受けおるというものであり、これは右婚約前において了解ずみのことであるので、被告のした右婚約の破棄は正当な理由を欠くものであるから、被告は、このため原告の蒙った物心両面にわたる損害を賠償すべき義務がある。(三)、ところで原告は、被告からの本件婚約破棄の申入前において、本件婚約に基くその婚姻の準備として、(イ)別紙第一表記載の家具類を、同年一一月初旬購入して被告方に搬入したがこれは被告の要請によるものであり、これにより合計金一七四、五〇〇円を出捐し、(ロ)さらに別紙第二表記載の衣類等を購入調製してこれを自宅に置き、その代金合計金六一二、五〇〇円を出捐し、(ハ)そのほか、同年八月一八日被告から受けた結納金の一割金一七、〇〇〇円をお礼として仲人菊川武一に支払い、その結納金の打あわせ、受領等のための酒食の饗応費として合計金一五、〇〇〇円を出捐し、交通費として合計金一五、〇〇〇円を出捐し、また知人等から貰った祝品に対する礼返しとして、カネボー製シーツ二〇点を購入贈与してその代金合計金三五、〇〇〇円を出捐したが、(イ)の家具類は、被告との婚姻生活のために購入したものでいまさら原告方に持帰るに忍びないものでその購入額全部が本件婚約破棄により原告の蒙った損害であり、その賠償と引換にその所有権は被告に移さるべきものであり、(ロ)の衣類等もまた被告との挙式およびその後の婚姻生活のために購入したもので、その破棄された現在においてはその購入費全額が本件婚約破棄により原告の蒙った損害であり、現在原告の手許にあるけれども右賠償後原告においてこれを処分して得たその代価は被告に返還すべきものであるが、その予想される処分可能代価は購入費の一割五分ないし三割ほどのものである。右(イ)(ロ)の購入費はそのうち金三〇〇、〇〇〇円は原告が自らその予金を引出したものであり、その余は原告の父から原告が贈与を受けた金である。(四)、本件婚約当時原告は二八歳であり、被告は三六歳で、原告にとっては初婚の最後の機会を失ったものでその精神的打撃は甚しいものがあり、右婚約の成立により従前の勤務先を退職したが、元来女姓画家として昭和四一年度の国展にも出品し、画商による個展も開催しており、その父は吹田市在○○の○○宗の名刺出身の二男で現在○○鉄工所の機械課長を勤めているもので、これ等の事情による原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金三〇〇、〇〇〇円をもって相当とするものである。(五)、結局、被告の本件婚約破棄によって原告が被告から賠償を受くべき損害金は合計金一、一六九、〇〇〇円であるが、そのうち右(三)の(イ)のうち金一七〇、〇〇〇円、(ロ)のうち金四五〇、〇〇〇円、(ハ)のうち仲人へのお礼金一七、〇〇〇円、仲人接待費一〇、〇〇〇円、交通費一五、〇〇〇円、お祝の礼返し品代金五〇、〇〇〇円、(四)の慰藉料金三〇〇、〇〇〇円総計金九九七、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」と述べ、被告の抗弁について、「被告主張の相殺の抗弁中、原告が被告から受領した結納金一七〇、〇〇〇円は、被告において婚約を不当に破棄した本件においては、被告はその返還を求め得ないものであるから、その相殺の主張は理由がない。」と陳述し(た。)立証≪省略≫

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、「原告主張の請求原因事実中、(一)のうち、原告と被告とが訴外菊川武一を仲人として被告から結納金一七〇、〇〇〇円を原告に交付して昭和三九年八月両者の間に婚約が成立したことは認めるが、その余は争う。(二)のうち、原告がカトリック教徒であることを本件婚約前より被告が知っていたこと、大阪家庭裁判所で調停がなされたが不調となったことは認めるがその余は否認する。(三)のうち、(イ)でいう別紙第一表に掲げる家具類をその主張の頃被告方に搬入を受けてこれを預っていることは認めるがその余の点および(五)の点はすべて争う。本来被告は仏教徒で原告はカトリック教徒であるが互いに信教の自由を認めあっていたけれども、その結婚式場の選定等で合意が得られないため双方合意で婚約を解消したものであって、原告のいうような被告において一方的に破棄したものではない。すなわち双方は異った宗教を信ずるものとして互にそのことを承知していたが、原告は、生れてくる子は洗礼を受ける必要はないがなお結婚式場をカトリック教会とすることを希望し、被告もこれを了承していた。そこで同三九年一一月初、双方同行して豊中のカトリック教会に行き印刷した式の申込書をみると、出生子の洗礼は必ず受けねばならぬと記載されており、同所牧師もそのとおりであるといい、原告もこのことは承知していたが秘していた旨告白した。そこで右教会への申込を取止め、その帰途大阪の喫茶店で約三時間にわたり話合い、被告から、出生子を洗礼させぬことは双方で了解ずみのことであるから教会での挙式は取止め大阪城公園内にある結婚式場太閤閣での挙式を求めたが、原告は教会外での挙式は結婚にならないとして互に譲らないため、ここに双方合意で本件婚約を解消したものである。仮に右の合意が認められないとしても、以上のような事情からして被告の本件婚約破棄は正当な事由があるから原告の本訴請求は失当である。」と述べ、抗弁として、「仮に原告の請求が認められるとしても、被告が原告に交付した結納金一七〇、〇〇〇円は婚姻成立を最終目的とする贈与であるから、その不成立は出捐の目的を欠き不当利得となって返還すべきものである。そこで被告は原告に対し、右返還を受くべき債権と、原告からの本訴請求権とをその対当額につき相殺の意思表示を被告提出の昭和四二年四月二八日付準備書面をもって本訴においてする。」と陳述し(た。)立証≪省略≫

理由

原告と被告とが、昭和三九年八月、訴外菊川武一を仲人として、見合し、交際し、被告から結納金一七〇、〇〇〇円を原告に交付してその頃原告と被告の間に婚約が成立したこと、原告がカトリック教徒であり、このことは右婚約前被告も知っていたこと、昭和三九年一一月初旬、原告が別紙第一表に掲げる家具類を購入して被告宅に搬入し、被告においてこれを預っていること、その後大阪家庭裁判所で調停があったが不調に終ったことはいずれも当事者間で争がない。

≪証拠省略≫を綜合すると、原告がキリスト教徒で、被告が仏教徒であり、このことは本件婚約の前の交際を通じて原被告ともに承知しており、その後被告は原告の希望を入れて二人の結婚式はカトリック教会で挙げることに同意していたこと、そこで同年一一月に入るとともに右結婚式場の交渉のため原被告同道して二、三度教会を訪ねたこと、この間原告は別紙第一表記載の家具類を購入してその購入先から被告宅へ搬入させたこと、ところが最後に訪ねた豊中市のカトリック教会で結婚式をして貰うため教会に提出すべき誓約書なるものを見ると、教会で挙式する際の誓約事項として、(1)信者の信仰(カトリック教の信仰を指す)を認めること、(2)夫婦の間に生れた子供は必らず洗礼させ、カトリック的教育をすること、の二条項があったこと、被告はこのうち(2)項について、特に不満の意嚮を示したが、牧師について右誓約条項が強くその遵守を求められるものかどうか、本件当事者の場合にその文言をどう牧師は考えるか等を質することもなく右教会を辞し、その二、三日後原被告が会った際、被告は、前示(2)の誓約条項があることを理由にカトリック教会で結婚式を挙げることに強く反対し、原告また教会で挙式しないと結婚したことにならないと訴え、ついには被告において原告が改宗しなければ結婚しないといって本件婚約を破棄する意思を明らかにしたこと、その後原告が牧師に質したところでは前示誓約条項中(1)は認めねばならないが(2)は形式だけでよいとのことであったので、原告は、その後その父および仲人を介して被告に対し右の事実をも告げてその翻意方を求め、その父において結婚式場は教会外でも良いと告げたけれども、被告は単に原告に欺された原告と婚姻する意思はなくなったと言明して譲らなかったことを認めることができる。≪証拠判断省略≫

ところで婚約は終生の共同生活を目的とする男女の合意(契約)の生成過程において、それまでに当事者が諒解しあった事柄およびこれから諒解するであろう事柄を互に尊重して将来婚姻しようという契約であり、その多くは結納金の交付等の形式をとることによりかかる契約をした当事者の責任を社会的にも明らかにするものであるから、本件のように、互に信仰の異なるにもかかわらず婚約したものが、そののちその信仰の異なるためその相互理解に困難を生じた場合には、その婚約にあたって諒解された事柄を互に確認し尊重して互に理解を増進することに努めるべき義務を負うべきものであるのに、前示認定のような被告のカトリック教会における誓約条項の意味するところを牧師について充分に確かめることもしないで、従前原告の信仰の自由を認め教会での挙式にも同意していたにもかかわらず、これを翻して原告に改宗を迫り、これをしないからと本件婚約を破棄し、その後原告のその父および仲人を介しての前示認定のような翻意要請にも耳を傾けようとしなかったことは、後記認定のように被告が○○○○大学の出身であることに照らしてもその意図を理解するに苦しむところであり、とうてい本件婚約における被告の前示のような義務を果したものとはいえないから、被告のした本件婚約破棄はその正当な事由を欠くものであり、このため原告の蒙った物心両面にわたる損害について、被告はこれを賠償する義務がある。

≪証拠省略≫を綜合すると、原告は、本件婚約に基く被告との婚姻の準備として、前示認定のその請求原因(二)の(イ)でいう別紙第一表記載の家具類を購入してその代金として合計金一七四、五〇〇円を費消し、右(二)の(ロ)でいうとおり、別紙第一表記載の各衣類等を購入調製して自宅に置き、その代金として合計金六一二、五〇〇円を費消しそのほか右(二)の(ハ)のうち、昭和三九年八月八日被告から受けた結納金の一割にあたる金一七、〇〇〇円をお礼として仲人である訴外菊川武一に支払っており、これ等の出費は、原告がその予金等から引出したものと、その父訴外山川正夫から贈与を受けた金員をもってその支出に充当したことが認められるけれども、右(二)の(ハ)のうち結納金の打合せ受領等のための酒食の饗応費として金一五、〇〇〇円を費消し、交通費として合計金一五、〇〇〇円を費消したとの点は、この点に関する≪証拠省略≫はいずれも具体的でなく弁論の全趣旨に照らしてとうてい当裁判所の心証を惹かない。また知人等から貰った祝品に対する礼返しとしてカネボー製シーツ二〇点を購入贈与したとの点は、この点についての≪証拠省略≫は、証人山川正夫の証言および弁論の全趣旨に照らし信用できない。以上認定を左右するに足る証拠は他に見あたらない。

そこで叙上認定の原告の請求原因(二)のうち(イ)および(ロ)にいう別紙第一表および第二表掲記の家具類衣類等の購入および調製費用ならびに(ハ)にいう原告の出費が、原告が本件婚約に基いて将来の婚姻の準備のために原告の蒙った損害であるかどうかについて考えるに、右(イ)および(ロ)にいう家具類衣類等については、いずれも物自体は依然原告の所有に属し、そのうち(イ)の家具類は被告宅にあるけれども被告においてはいつでもこれを原告に引渡す意思あることを表明していて原告の望む時期にその引渡を受け得ることが明らかであり、(ロ)の衣類等はすべて原告の手中にあるものであり、ともにいまだ挙式婚姻において使用されたことはなく、原告がこれをその感情のうえで使用したくないというのほかは本件婚約破棄によりその効用を全部若しくは一部でもこれを減弱したとの特段の主張立証もなく、右挙式婚姻のほかは原告の日常生活上不必要なものとも考えられないので、それが購入調整のために原告が費消した金員を目して本件婚姻破棄により原告の蒙った損害であるとはいえない。もっとも右の品々を原告が日常これを使用したくない感情を持つことは、原告に対する後記慰藉料額の算定にあたってこれを斟酌すべき事由となることはいうまでもない。つぎに右(ハ)の出費のうち仲人に対する結納金の一割にあたる金一七、〇〇〇円をお礼として交付したことは、被告の本件婚約破棄による原告の蒙った損害であるから、被告はこれを原告に対し賠償すべき義務がある。

≪証拠省略≫を綜合すると、本件婚約当時、原告は二八歳で未婚であり、府立○○高校卒業後○○火災海上保険会社に英文タイピストとして勤務していたが本件婚約に基く婚姻準備のため事前に退職意思を表明していたため一応退職しその後間もなく復職しているほか、画家として画商による個展も開催されていること、被告は、本件婚約当時三七歳で○○○○大学経済学部を卒業しており、現在は○○コマスタジアムの企画部職員として勤務し、月額金四〇、〇〇〇円ほどの給与を受けていること、原告は被告の本件婚約破棄により精神的に強く衝撃を受け、一時家出して東京の叔母の家に行っていたが父親の説得により肩書地に帰ってその両親と同居しながら右会社に勤務していることが認められる。

叙上認定した一切の事情を考慮するときは、被告の本件婚約破棄により原告が蒙った精神的苦痛に対する慰藉料の額は金三〇〇、〇〇〇円をもって相当とするものである。

そこで被告主張の相殺の抗弁について判断するに、結納は将来成立すべき婚姻生活を目的とする一種の贈与であるから、その婚姻が不成立に終った場合は目的不到達による不当利得として、その不成立について当事者のいずれの側にその責任があるかに関係なく、贈与者から受贈者に対してその返還を求めることができるものである。したがって、被告は原告に対し本件結納金一七〇、〇〇〇円の返還を求める債権を有するところ、一件記録によれば、被告訴訟代理人は原告に対し、昭和四二年四月二八日本件第一〇回口頭弁論期日においてその作成にかかる同日付準備書面をもって、被告の有する右債権と原告の本訴請求債権とをその対等額で相殺する旨の意思表示をしていることが認められるので、原告の前示認定の慰藉料金三〇〇、〇〇〇円のうち、金一七〇、〇〇〇円は被告の有する右結納金返還請求権と相殺により消滅したこととなる。

したがって、原告の被告に対する本訴請求は、右慰藉料金三〇〇、〇〇〇円のうちの金一三〇、〇〇〇円と、前示認定の金一七、〇〇〇円との合計金一四七、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日であること一件記録上明らかな昭和四〇年七月二九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲でその理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担について民訴法第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田善哉)

<以下省略>

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